新大久保駅乗客転落事故 リンク集
山手線新大久保駅で泥酔した男性がプラットホームから線路に転落し、さらに、その男性を救助しようとして線路に飛び降りた日本人カメラマンと韓国人留学生の男性が、折から進入してきた電車にはねられ、3人とも死亡した。
人命救助のために命を投げ出したこの事件は、美談として日韓両国で大きく報道されるとともに、事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された。このプレートには二ヶ国語(日本語・韓国語)で事故の経緯等が記されている。その後救助を行った2人の遺族には、感謝状が贈られている。
通常鉄道会社では人身事故を起こした人間に対し、損害賠償を請求しているが、この事故では最初に転落した者の遺族に加えて救出しようとした2人の遺族にも請求しようとしたところ、JR東日本に非難や抗議が殺到し、結局2人の遺族には請求せず、最初の転落者の遺族にのみ請求した[要出典]。
また、最初に転落した男性が駅構内の売店で購入した酒を飲んでいたことが判明し、JR東日本は通勤圏の一部駅構内での酒類の販売を一時取り止めた。
ホームから人が転落し(あるいは自殺を目的として故意に飛び込み)、列車に轢かれて死亡する事故はそれまでにもしばしば発生していたが、本事故がマスメディアで大きく報道されたことで、ホームからの転落事故に対する社会的関心が高まった。そのため、以下のような対策が施された。
列車非常停止ボタンの整備 [編集]
列車非常停止ボタンの設置例(JR東日本)
現在鉄道事業者では、線路への転落事故をはじめホーム上で危険な事象を目撃した場合は、「(列車の運転士が人間を確認してから車両が完全に停車するまでの制動距離は長いため、)危険であるから線路には絶対下りてはならず、とにかく列車および駅係員に知らせることを優先するよう」にと呼びかけている。この新大久保駅の事故を契機として、プラットホームに設置される「列車非常停止ボタン」の使用方法を積極的に車内広告やテレビCMでPRしたり、ボタンの設置場所が明確にわかるよう、柱などにマーキングが施された。また、ボタンそのものを増設することも行われた。しかし、マスコミや一般市民へのボタンの認知度はまだ低く、2006年には同駅で転落した女性を助けようとプラットホームから降りてしまった韓国人男性がいたが、この時は、幸い怪我はなかった。
その他の設備の整備 [編集]
本事故においては、プラットホームの下に退避できる空間がなかったことも問題視された。そのため、プラットホーム床下を部分的にくり抜き、転落時に逃げ込むための空間を設けた例もある。また、全国の鉄道事業者の多くの駅に落下物検知装置の設置、プラットホーム側面への非常用ステップの設置などが実施された。この他、特に高い効果を持つ安全対策として、プラットホームへのホームドアの普及を促す声が高まっている。しかし、これは設置費用のほかに、車両のドア配置統一、停車位置制御等の問題もあって、都市圏の新規開業路線を除きあまり普及していない。
* 1909年(明治42年)2月28日、塩狩峠に差し掛かった客車列車の最後尾の連結器が外れて、客車暴走していたところ、当時鉄道院の職員でありキリスト教徒であった長野政雄(ながの まさお)という男が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くには、この事に対する顕彰碑が立てられている。
* 1975年(昭和50年)12月27日 15時50分ごろ、山陽本線須磨駅において新快速の通過待避をしていた各駅停車の車掌が、新快速の通過する複々線内側の本線(当時、新快速は内側の電車線と呼ばれる線路を走っていた)にホームから転落した泥酔の老人を救おうとホームから線路に飛び降りたが、老人とともに通過してきた新快速電車にはねられ死亡する事故が起こった。車掌は入局2年目であり、この勇気を称えて須磨駅に碑が立てられている。
* 2007年2月6日 19時30分ごろに発生した東武東上線ときわ台駅での事故では、自殺しようとして隣接する踏切より線路内に立ち入った女性を救助しようとした近くの常盤台交番の巡査部長が通過してきた急行列車にはねられた。急行電車の接近に気づいた警官は、電車に向かって大きく手を振り、「止まってくれ」と何度も叫んだ。しかし、急行は通過電車であり、スピードを落としていなかった。「2人に気付いて非常ブレーキをかけたが、間に合わなかった」と運転士は話している(列車は制動距離が非常に長く、運転士が確認できるまでに列車が迫った時点ではよほどの低速でない限り完全停止は不可能である)。重傷を負った女性は助かったものの、頭蓋骨を骨折し、意識不明となった巡査部長は6日後に死亡した(殉職後、警部に昇格)。女性と警官は数分間ホーム下の線路上にいたにも関わらず、非常停止ボタンが押されなかったのは、駅員がホーム上におらず、またホームにいた客はボタンを押していなかったためとされていた。後に、実際には事故当時、ボタンが押されていたことが判明したが、押されたのが事故直前で間に合わなかったとみられている。約1年後にテレビドラマ化された。
* 2008年12月15日 15時20分ごろ、埼玉県春日部市の東武野田線春日部 − 藤の牛島駅間の踏切で、認知症を患っていた女性(当時93歳)が自宅を抜け出し誤って踏切内に入り、それに気付いた女性の娘(当時65歳)が母親を引き戻そうとして線路内に入ったところ、普通電車にはねられ、2人とも死亡した。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』